わたし自身、カウンセリングを学ぶまでは、ずっと勘違いしていました。カウンセリングというのは、人の心を読み、「あなたはこう考えている」「あなたはこういう人だ」「だから、こうするべきだ」と指示することだと思っていたのです。そういった手法もありますが、近代カウンセリングでは、むしろ逆の手法が主流であると知り、大きな驚きを感じたのを覚えています。このコラムでは、近代カウンセリングの祖ともいえる、カール・ロジャーズについて説明します。
~フロイトとロジャーズ~
まずはジークムント・フロイトからです。「フロイト」という名前は、誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。無意識という概念についてはじめて言及した偉大な心理学者です。フロイトは「精神分析」という心理療法を開発しました。「自由連想法」といって、心に浮かんだことをすべて話すことによって、無意識下に抑圧している想いを意識化させます。分析家は、それを解釈し、クライエントに伝えます。無意識という概念を取り入れたフロイトの療法はたいへん画期的なものであり、今の心理学の基礎となっています。
そんなフロイトのやり方と一線をかくしたのは、カール・ロジャーズでした。ロジャーズは、精神分析の難しさにより、クライエントをより悩ませることがあると考えたのです。権威のある先生に、「あなたはこう思っているのだ」と断定されれば、本当かどうか? 好ましいかどうか? は別にして「そうなんだ・・・」と思ってしまいます。人によってはショックを受けることもあるかもしれません。ロジャーズはそれをよしとせず、他のやり方を模索しました。そして生み出されたのが、近代カウンセリングの基礎ともいえる「来談者中心療法」です。従来のように、専門家が分析し、その結果を伝えるのではなく、自問自答をうながしてクライエントみずから、問題に立ち向かってもらう。カウンセラーはそのサポートをする、という手法です。来談手中心療法のカウンセラーは、分析医としてクライエントの前に座るのではなく、クライエントの絶対的な味方である「ひとりの人間」として座ります。クライエントは、カウンセラーから知識や評価を得るのではなく、人間的な温かさや、勇気、そして、知識ではなく「知恵」を得るのです。ですからロジャーズは、分析方法を提唱してはいません。彼が提唱したのは、あくまでカウンセラーのあり方――どのような気持ちで、どのような態度で、クライエントの前に存在すればよいか? ということです。
誤解を恐れず言うなら、固いキウイをリンゴといっしょに保存すると、キウイがリンゴにつられて甘くなる、アレとイメージが似ています。誰よりも人間らしいカウンセラーとよい関わりをもつことで、悩みを抱いたクライエントも、生き生きとした人間らしさを取り戻し、解決に向かっていける、そういう効果を狙っています。
ただ、このやり方も万能ではありません。この方法で解決できることが理想ですが、心理学の知識が必要な場合や、なにか特殊な心理ワークが必要になることもあります。Confessioもそうですが、現代のカウンセリングの多くは、この来談者中心療法に軸を置きながらも、状況によって他の療法を取り入れたりします。
~さいごに~
どうでしたか? カウンセリングというものについて、イメージがつかめたでしょうか? ここでは直感的なわかりやすさを重視して、細かいことには言及していません。本なども出ていますので、興味がありましたら読んでみたらいかがでしょうか?